小保方晴子さんの論文不正問題をきっかけに博士論文審査にコピペがはびこっているのではないか?
そんな事思った人も多いのではないでしょうか?
いや、そんなことはない、東大でさえも博士学位取消や研究論文不正のニュースを聞くから、「最近」ではなく、ここ数年前からはびこっている話だ!なんていう方もいるかもしれません。
私の知る限り大きなニュースになっていたのは下記の3件などでしょうか。
「アニリール・セルカン大学院工学系研究科建築学専攻助教に対し、平成15年3月28日付けで本学が授与した博士(工学)について、平成22年3月2日に取消しを決定」
http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_220305_j.html
「東京大学社会科学研究所助教に係る論文等の不正行為及び博士の学位授与の取消しについて」
http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_231209_j.html
「記者会見「東京大学分子細胞生物学研究所旧加藤研究室における
論文不正に関する調査(中間報告)」の実施について」
http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_251226_j.html
これは、「東大」だから
大きく報道された、または発覚したというのが真実だと思います。
小保方さんの件で早稲田が注目され、芋づる式に関連研究室の卒業生の多くの博士論文に問題が発見されました。
小保方さんが慶應であれば、おそらく、早稲田と同じようなことになっていたんでしょう。
これでわかるのは、単に注目される事がおおいところほど、
発覚の可能性が高いというだけです。
おそらく、他の大学はかなりひどいだろうというのは、想像にかたくはないでしょう。
ですが、最近このような事件が明るみにでるのは
「PCの能力の向上」、「コピペ発見ソフト」
これの影響が一番大きいです。
それの証拠に、デジタル化されていない、
20~30年前などの昔の博士論文などを是非みてみてください。
すごい論文があります。
たったの「16ページ」しかないやん!
え、考察以外すべて切り貼りやん!
謝辞しか、まともに書いて無いやん!
引用元ないやん!
こんな論文に簡単に出会えます。
しかも博士論文です。
別に今の若い子だけが悪いというだけではないのです。
そう、昔からあることなのです。
ただ、単にコンピュータが発達したおかげで明るみにでるようになっただけ。
「競争原理」を研究分野に持ち込んだのが悪い、原因だなどと巷で言われていますが、
研究に競争原理が導入される前と、導入後の今で
「定量的」に不正がどれだけ増えたかを論じている人は私は知りません。
ここをちゃんと見ることが重要だと思います。
また、真面目にがんばっていて、非常に優秀な研究者も大勢います。
単に昔から存在する不正が、明るみに出やすくなったからというだけで、
優秀な研究者の割合は変わっていないのではないかと個人的には感じています。
カテゴリー: 教育について
成績のインフレ
イギリスで「大学の成績」のインフレが起きていると話題になっている。
内容は1990年代後半に上位二つの評価を取得する学生の割合が3割しかいなかったのに
2012年には7割を超えているというものだ。
要するにほぼみんなが
「優」か「良」
になったということ。
日本の小学、中学で相対評価から絶対評価に変わったときの話題みたいですが、
実はこの問題、根が深く
大学の経営問題が深く絡んでいると考えられています。
イギリスでは大学の成績が日本とは違い就職に影響するため、学生は良い成績が欲しい。
そして、良い成績者を多く輩出して就職率を上げれば大学の人気も高くなる。
というスパイラルで学力が上がったわけではないのに、
成績評価のインフレ
が起きているというもの。
でも、これが一般化すると企業側からみると、今まで使えた成績というモノサシの信用がなくなり、
企業からの信用がなくなると思うんだけどなぁ、どうでしょう?
でも、企業は選別のために余計にコストをかけて、何かセレクションをすることになるから
そのセレクション産業が生まれて雇用が生まれるというのもあるような気もします。
今の日本では、就職時に大学の成績があまり評価されていないので、すぐにイギリスみたいな事は起こらないとは思いますが、似たような事は高校入試、大学入試では起きています。
実際、東京都立入試では成績が内申点というものに変換されますが、上位高ではほとんど内申点では差がつかない状況になっています。
最近聞いた話では35人クラスに「5」を取る人が半分くらいいるよーという科目もあったりとかするらしいので
なんか成績というのは形骸化してきているような気がします。
世界的な大企業トップの出身者輩出機関ランキング100
世界大学ランキングを発表しているタイムズ・ハイヤーエデュケーションが
「世界的な大企業トップの出身者輩出機関ランキング100」
を発表。
フォーチュンの世界企業500社番付に入っている企業のCEO出身校でランキング付けしたみたいです。
さて、どのような結果か。
1位 ハーバード大学
2位 東京大学
3位 スタンフォード大学
4位 エコール・ポリテクニーク(フランス)
ハーバード、スタンフォードなどは順当な感じだが、日本の東京大学奮闘していますね。
官僚的な大企業のトップに東大が多いからだという国内からのやっかみが聞こえてきそうではありますが、
とりあえずアジア一位を日本の大学がとったことはうれしいですね。
これから中国の猛追を受ける中、どこまで頑張れるか。
それがかかっているのは、この文を見たかもしれない若いあなたです!!
なんてね。
ちなみにランキング入りした数の多い順の国別でみると
1位 アメリカ 38校
2位 中国
3位 日本
4位 フランス
5位 ドイツ
6位 イギリス
となり、中国にはやはり抜かされてしまいました。
まぁ、規模が違いすぎるという話もありますが、中国にはそれだけ多くの大企業が勃興しているという証ですね。
【追伸】
他のランキング入りした日本の大学は下記
9位 慶応
18位 京都大学
20位 早稲田大学
27位 中央大学
43位 一橋大学
52位 東工大
74位 大阪大学
100位 法政大
学生の基礎学力向上のために
現在、大学入学者に占める推薦入学での入学者が文科省が定める上限約50%にまでせまっています。
単純計算だと、一般入試(筆記試験)での入学者は全大学生の半分しかいないことになる。
なので、一昔前と比べ生徒の大学入学へ向けての対策・勉強の仕方は変わってきていて、
中学受験で大学付属への入学を目指す子、
指定校推薦、AO入試などの推薦入学を狙う子、
など、いかに大学入試で一般入試を受けないで入るかのほうが重要になっている風潮を感じます。
もちろん、国立大学入学を目指して昔ながらに大学受験勉強をがんばる子はいるが、減ってきているのは事実。
特に首都圏では減少している。
果たして、これは将来を担う子供達にとっていいことなのだろうか?
ひいては、その学生達を採用しなければならない企業側にとっては、
優秀人材の減少・採用難という将来のリスクを高めている事につながってはいないだろうか?
私の会社でも驚いたのが、講師の試験を受けに来る有名大学の学生にテストをさせると、
算数及び中学数学が100点満点中0~10点くらいだったり、
中学英語が読めないとか。。。
などのひどい学生をよく目にします。
もちろんそのような学生は採用しませんが、その分採用する学生に会うまでのコストが上がっています。
今はなんとかその費用を企業側で負担し我慢していますが、いつかは授業料に添加せざるを得なくなる可能性があります。
これは、社会が学生に楽をさせた結果、その負担が結局はお客様(利用者)に降りかかって来るという1例です。
大学もビジネスという風潮の中で、今の入試の現状を変えることは難しいでしょう。
実際に有名大学付属高校・中学・小学校の乱立で青田買いに拍車がかかっている現実からもそれは伺えます。
高校の数学等を教えられる教員が不足して、予備校から数学講師を呼んで授業しなければならない状態の有名大学付属校があります。その状態に関わらず定員を増やしている事からも、教育の質よりも経営を重視せねばならない事情があるのでしょう。
ならば、
解決策として、
企業(特に有名企業)が入社試験のときに基礎学力試験の必須化をすればいいのではないでしょうか?
現在、SPIが行われていますが、企業によって基準がばらばらです。
就活開始時期について話すくらいなら、
学生の質を上げるための議論のほうが建設的だと思う。
そうすれば大学も就職率を上げるために重い腰を上げるだろうし、入試に関係なくても勉強する学生が増えるのではないだろうか?
これが今の日本で最も迅速かつ現実的方法な気がする。
大学の総理系化
大学学部の総理系化!
奇抜な発言ですが、けっこうこれは昔から思っていました。
同じように感じている理系出身者は多いのでは??
極論だとは思いますが、大学卒業後に大学院で文学や法学、経済学、医学などに進学するという流れのほうが、日本のレベルの底上げに繋がると思う。
また、学生達にとっても大きな力をつけることになる。
同じことを朝生で堀紘一が発言してましたが、これについてだけは支持できるなぁと思う。
反論を唱える人がいるかとは思いますが、よく考えれば必ず納得できると思う。
私は別にアメリカの教育方法がいいとは思っておらず、ただ単に現在の日本の大学での文系教育が果たしてどれだけ教育的意義を果たしているかが疑問だから、そう思うだけです。
「文学」は発想力や創造的思考が高度に要求されるもので、非常に高度な学問であると思う。しかも自然科学のように多くの事実を体系化し積み重ねていくことで、すばらしい作品に「必ず」繋がるわけでもない。ただし、最低限多くの幅広い知見を有していることが、横断的で創造的な文学に繋がることは有りうると考えられるし、自然科学的手法が考古学や歴史研究に有用なものとなることは考えられる。
法学、経済学などでは、近年の科学技術の高度化で科学技術についての知識とは切っても切り離せない関係になっている。経済学では高度な数学も多用するのでなおさら。
教師養成について重要な教育学部についても、教師の現場で理系の素養のある先生が求められているという議論は以前から活発にされている。
このようなことからも、基礎的素養・知識を身につけさせるために学部教育の理系化は非常に有効だと思う。
それは、私自信が教育事業を有していて現場から得られる実感からも強く感じるものです。
最近の有名私大付属校の乱立や指定校推薦、AO入試などは特に学生からの教育機会を奪っていっているのは事実で、これらの影響で首都圏の高校の多くが、高校としての役割を果たしていないことも、この大学問題に対する改革を強く考えさせてしまいます。
このような状況下でありながら、大学でも何も学ばなかったら、学生は教育機関からビジネスの対象として見られるだけに終わり、多くの教育機会のチャンスを逃すことになる。
この教育制度は早急にどこかで手を打たないといけないのではないかと強く思う。
にほんブログ村